まず最初に!一般的には共同売店、共同店と呼ばれていますが、安田の場合は「協同店」と書きます。これ、大切なのでよろしくお願いいたします、笑。
100年以上続く安田協同店も、他の共同売店と同じく、奥共同店を参考にして立ち上げられました。時代の変化とともに、求められているものは多少変わってきましたが、地域での生活や活動の中心となる大切な存在であることはあまり変わっていないようです。
安田協同店
安田では、明治20(1987)年頃、与那原から商人が入り、林産物や魚介類などの商いを始めました。また、それに触発され、地元からも出店をし始めました。一時は、個人経営のマチヤグァーは区内に7ヶ所もあったそうです。
しかし、個人経営の商店は、区内の不和と対立の要因にもなるということで、区民参加の共同店設立の機運が高まり、すでにスタートしていた奥共同店を視察、大正5(1916年)に安田協同店は産声をあげました。そして、協同店の発展により個人経営のマチヤグァーは廃業していきました(安田史誌「あらは」より抜粋)。
個人的な解釈ではありますが、共同売店を作らなければ個人商店がいくつもできて、自由な商売が発展していた可能性もあります。でも、区民の意識を統一し、自分たちの文化・風習を守っていくために、1つの商店に集約させた、と考えることもできると思います。これからやって来る時代に対して、つながりや助け合いを大切にしながら、地域をひとつにまとめて向かっていこう、という先人たちの強い意思を感じます。
100年以上続く安田協同店も大変苦しい時期に突入してしまいましたが、人とのつながりを大切にしながら、これからの時代に向けて進んでいかなければいけないと感じています。
安田協同店の歴史
以下の年表は安田史誌「あらは」より抜粋
1916年 安田共同店の産声を上げる
1921年 共同店創立
1927年 安田共同店二分裂(村内の政争が原因)
1929年 安田共同店三分裂
1933年 共同店統一
1945年 戦火による共同店の焼失
1947年 共同店再建
1950年 精米所設立
1950年 安田協同組合に改称
1952年 安田丸(船)購入
1956年 電気事業発足
1957年 トラック運行開始
1960年 客車運行開始
1962年 伊部支店開店
1972年 日本復帰、トラック売却
1999年 協同組合から協同店へと改称
2006年 協同店の財産を安田区へ移管
2010年 安田協同店に係る安田区条例制定
2011年 協同店のリニューアル
2014年 売店コーヒースタート
2021年 沖縄ファミリーマートの自販機設置
栄えていた時代には、貸付金事業や育英事業、精米、製材、電気事業やバス、トラックの運営や貸家事業までしていました。公的なサービスが受けれなかったので、自分たちで運営していましたが、公的なサービスが充実するとともに、事業を手放していきました。1980年までは年間1億円以上の売り上げを維持していましたが、2003年に赤字となり、協同組合解散へと進んでいきました。
2006年に安田協同組合の財産は安田区へ移管され、その運営は安田区から個人へと委託されるようになりました。事実上、個人運営のお店とはなりましたが、単なる「商店」の運営ではなく「共同売店」の運営として委託され、その役割が今でも大切に引き継がれています。